〜障がい児の声で福祉が変わる〜

こんにちは、ヒカルのおとうさんです。

わたしは現在、神戸の街を中心に
『障がい児専門の通訳家』として
絵本の執筆や講演活動をしつつ、
オンラインで日本全国の障がい児のリハビリをする
リモート・ハビリテーション『reMOBILE-リモビリ-』の
運営代表をさせていただきながら、
「障がいを選んで生まれてきた子ども達の声」を
伝える活動をしています。

2021年には「障がい児の声」をもとにした初の絵本
『きんいろのメガネ』が出版され、
2022年には言葉を発することができない子ども達との
コミュニケーションの方法を書いた書籍
『わかってほしい!を読みとる本』、
そして、第2作目の絵本
『わかってね』も出版しました。

さらには完全無料のオンラインサロン
『きんいろの宝物』もオープンし、
おかげさまで多くの方々と一緒に
福祉活動をさせていただいています。

そして、いよいよ2023年には
わたしが理事を務めさせていただく
一般社団法人「ひかりのパパ」が設立され、
本格的に『第3の福祉』とわたしが提唱している
「新しい福祉」を広げるための活動が
始動することになりました。

わたしが障がい児支援の活動をはじめたのが
平成から令和へと時代が大きく切り替わる直前の
2020年4月のこと。

それからほんの数年の間に
『障がい児の通訳』という
新しい障がい児支援の形が広がっていって、
わたし達が一体何をしているのか、
そしてどこを目指しているのか、
わかりづらくなってきたかもしれません。

そこで今、
これから新しくご縁のある方々にも
わたし達の活動を知っていただきたいと思い、
これまでの活動を振り返り、

なぜわたしが障がい児支援をはじめたのか?

そして、『障がい児専門の通訳』を通して、
わたし達が何を伝えたいのかを、
少しお伝えさせていただこうと思います。

「きんいろのメガネ」絵本画像
「わかってほしい!を読みとる本」絵本画像
「わかってね」絵本画像

『障がい児専門の通訳家』の原点

わたしはこれまで、
福祉とは全く関係のない仕事をしてきました。

主な仕事は経営やマーケティングのアドバイザー。

様々な企業の経営者さんの相談にのり、
市場開拓や新規事業の立上げ、個人の起業、独立の支援を通じて、
企業やひとの才能を市場につなげる仕事をさせていただいてきました

ありがたいことにわたしがこの仕事でのキャリアを歩み始めて、
多くの経営者さん、そしてその企業で働く従業員や個人の方々の相談にのり、
ひとりひとりの仕事を通じて人生を共に歩ませていただきました。

わたしにとって、この仕事はまさに天職であり、
人生を懸けてもいいライフワークそのものでした。

ですが、2015年前の春、
わたしは「ある人生の師」と出会い、
その考え方、働き方をガラッと変え、
これまでの仕事から一転して、
「ある活動」に力を注ぐことにしました。

そして、ついにその活動も組織化し、
本格的に世の中を変え、業界を変え、
社会を変えるために、
様々な企業や業界の方々と力を合わせて
動くことになりました。

いまなお企業からの相談は途切れることがないにも関わらず、
なぜ自分の天職であり、心からのライフワークだと
言ってもいいと思っていた仕事から方向転換することにしたのか、
疑問に思う方もいるかもしれません。

なので、ここではこれまでのわたしの活動を通じて、
わたしがどんな思いで日々、子ども達の障がいと向き合ってきたのか?
そして、これからわたしは何をして、どこを目指していくのか?
さらには、この「新しい活動」を通じて、
未来の子ども達に何を届けたいのかを
書かせていただこうと思います。

ひとの才能を活かす仕事

わたしは大学生のとき、
ずっと音楽活動に専念していました。

その世界はまさに、
音楽が好きで好きで仕方がない人間ばかりが集まる場所。

自分の音楽、歌声、演奏といった才能で
世界中のひとに感動を与えるひと達。

そして、その裏にはスタッフやエンジニアとして
ミュージシャン達の活躍を影で支えている才能に溢れた方々など、
わたしは毎日たくさんの才能に囲まれて過ごしていました。

しかし、こうした華やかなステージには光もあれば、
その裏には多くの影がありました。

結果さえ出せれば何でも許される世界。

才能がなければ、いくら音楽が好きでも、
ここで仕事がしたくても、一切受け入れてもらえない。

人間としてさえ認めてもらえない。

さらには、いくらずば抜けた才能があっても、
それを周りにうまく認めてもらえなければ、
その才能は輝けないし、誰にも目をかけてもらえない。

いくらひどい境遇に耐えても、
いつまで経っても芽が出るチャンスさえ
与えてもらえないのです。

才能があるのに、不幸になるひと達…

才能がなくて、不幸になっていくひと達…

日々そんな光景を目の当たりにし、
わたしはあるときふと、
そんな土台で成り立っているステージの上で
自分自身が輝き続けることよりも、
才能があるのにうまくいかないひとや
この場所では才能がうまく発揮できていないひと達の
人生を輝かせることに全力で生きると決め、
ミュージシャンを引退したのでした。

これが経営コンサルタントとしての 人生をはじめるキッカケです。

そして、それから20年以上の月日が流れました。

毎日多くの方の「才能を活かすための仕事」と向き合ってきましたが、
その1回1回が真剣勝負。

自分の人生以上に相手の人生を真剣に考え、応援し、走り回り、
自分自身が人生何周分も経験したんじゃないかと思うほどです。

元々はミュージシャンで、
事業マネジメントや経営の経験、
ノウハウも何もなかったわたしが、
気がつけば経営コンサルタントとしてアドバイスを求められ、
大企業から個人事業主まで様々な企業の事業をお手伝いすることができ、
通常では考えられないような経験をいくつもしてきました。

これはひとえに、わたしの言葉に意味を感じ取り、
信頼してくれる多くの方々のご協力と応援のおかげであり、
本当に感謝しています。

わたしに事業の相談をしにきて、
一緒に事業やプロジェクトをつくった方からは、

「どうしてウチの会社のために、ここまで頑張ってくれるんですか!?」

とか、

「ひとつの相談のたびにここまで時間と労力を費やしてくれるなんて、
 よくやっていけますね!」

と、言われることがあります。

わたしがどこかの企業から相談にのる場合、
まるで自分がその会社の社員や設立者のように、
朝から晩まで何日も、
プロジェクトによっては半年、1年以上もの間、
相手の事業やその業界のお客様のことだけを
ずっと真剣に考え続けます。

すべてはその事業に関わる方々が、
自分の会社や事業の存在する意味に気づき、
世の中のお役に立ってもらうため。

徹底的に話を聞き、
業界や企業の歴史、背景を調べ、
設立の想いや隠された才能に触れることによって、
その事業の本質と、本当にやるべきことを
一緒に見つけ出していくのです。

こうした時間と労力を、
経営者の方だけでなく、組織の方々、
さらには現場にまで足を運び、
相談に来られた企業のありとあらゆる方に 惜しまずかけてきました。

それもすべては、
そこに関わっている方々の才能や
個性をちゃんと知るため。

なぜ、そこまでの時間と労力をかけるのか?

それは、わたしにはそこまでしてでも、
やりたいこと(やるべきこと)があったからです。

これまで、
そのことをあまり公には言ってこなかったのですが、
この機会を通してそれをお伝えできたらと思っています。

ひとに喜んでもらう「働き方」

経営コンサルタントという仕事は、
一見難しそうで、かなり複雑そうに見えても、
実はやっていることはとてもシンプルなものです。

多くの企業、ほとんど全ての企業にとって、
企業が仕事に求めるのは売上(儲け)という結果、成果であり、
そのための商品開発や従業員の能力開発、業務の効率化、
コストの削減を実現することが
経営コンサルタントの仕事の価値だと思われています。

もちろん、その考え方は否定しませんし、
企業の存続を考えると、
結果や成果、儲けを第一に考えるのは
当然のことです。

ですがわたしは、
仕事とは売上や儲けを得るために
「ただ結果さえ出せればいいもの」ではなく、

「自分のもって生まれた才能を通じて、
 ひとに心から喜んでもらうことで、
 自分自身も喜びを感じること」

こそが仕事の本質であり、

お客様との関わりを通じて

「徳分を積む行為」

だと考えています。

本来、日本人はもともと仕事というものを
大切にして生きてきました。

「日本人はとても勤勉で、真面目に仕事に取り組む」

「自分の仕事を通じて、ひとに喜んでもらうためにとことん働く」

これは決して特別おかしなことではなく、
「日本人が当たり前にもっている精神性」であり、
「日本人らしい働き方」そのものなのです。

昔の日本人はこうした高い精神性をもって、
目の前のひとや、世の中のために、
いつも仕事をしていました。

しかし、個人主義や結果重視の仕事の捉え方、
欧米流のプロジェクト単位での働き方、
大陸文化中心のビジネススタイルが広がるにつれて、
いつしか多くの人々からその意識は薄れてきてしまいました。

ビジネスとは、ただ結果を出せば何でも許される世界なのか?

それが本当に日本人としての「いい働き方」なのか?

わたしは、日本人が本来もっているはずの「当たり前の精神」を、
もっと日々の仕事のなかで自然と呼び起こせるようなことがしたいと考えてきました。

そして、そのひとつとしてわたしは、
こうした日本人としての当たり前の精神性を土台に、
「仕事と才能を結びつけるための事業づくり」を通じて、
本来の日本人らしい働き方を取り戻し、
仕事の本当の楽しさや喜びを味わえる会社を
増やしていくことを決めたのです。

その集大成となったのが、
いまの活動の根幹となる
『徳を積む生き方』でした。

日本人としての才能を生きる道

わたしの根幹にあるものは、
「誰もが自分の才能を自覚し、
 その才能と個性を思う存分発揮することで、
 『誰かのために一生懸命働くこと』が
 人生の喜びになる生き方」

という、

日本人にあった「仕事の道(経営道)」です。

わたしはこの考えを大切にし、
様々な企業のコンサルティングや
事業のアドバイスを行ってきました。

自分の才能を発揮して、
自分にしかできないことで
世のため、ひとのお役に立ちたい。

きっとこれは、
いまの日本で働くすべてのひとがもっている
「当たり前の想い」だと思います。

わたしはその想いに応えられるよう、
目の前の方の才能を活かすために、
いまの仕事が一生忘れられない最高のものとなり、
毎日仕事をするだけで働く意味が変わっていって、
日々の仕事との向き合い方が変わっていくような…

そんな事業が現実となるために、
相談に来られる方々のこれからの人生をイメージしながら、
ときには何ヶ月も、何年も時間と労力をかけて、
その方にしかできない事業やサービスを考えることを
毎回やってきました。

よく、事業の相談を通じて
一緒にプロジェクトを進めるようになった方からは、

「毎日の仕事が楽しくなっただけでなく、
 誰かの役に立つことがこんなにも
 嬉しいことだとは思わなかった」

と言われることがよくあります。

ときには、

「まさか自分が自分以外の誰かのために真剣に行動して、
 本気で仕事をする人間になるとは思ってもみませんでした。
 でも、いまはそんな自分が大好きです!」

と言っていただいたこともあります。

そんな方が一緒に仕事をするたびにどんどんと増えていき、
わたしの周りではどんな企業、どの業界であっても、
会議のたびに誰かのために自分の夢や想いを真剣に語り、
本気で考え、働こうとする、
仕事も人生も心から納得して楽しんでいる
『誰かのために働く喜びを知った日本人』の
笑い声が広がっています。

仕事も職業も、立場も職歴も、経験も何もかも全く異なるひと達が、
なぜここまで真剣に、自分以外の誰かのために本気になって、
自分の仕事や事業に取り組むことができるのでしょうか?

不思議に思ったわたしが、
何の気なしに尋ねてみたところ、
面白いことにほぼ全員から同じ答えが返ってきたのです。

それが、

「いまの仕事にたまらなく誇りがもてるようになったから」

でした。

誇りをもてると、生き方が変わる

わたしは、
仕事の本質や、仕事の本当の楽しさ、
誰かの役に立つ喜びを、
自分の才能に気づくことで感じてもらい、
それを毎日の仕事、日常を通じて
心から味わってもらいたいと思っています。

わたしの仕事への向き合い方、
ひとの才能が発揮されることへの願いは、
全てのアドバイスにこもっていて、
相談にきてもらっただけでそれを実感してもらえるように、
どんな相談事であってもその方との時間をとても大切にしています。

なので、
相手の方が自分のやっている仕事の意味がわかり、
才能がわかってくることで、
自分のやるべきことがわかって、
その仕事に誇りがもてるようになると、
その後の仕事の楽しさや感じ方が変わったと
言ってくださる方も多いのです。

しかし、
そんな仕事との関わり方、働き方を
ずっと大切にしてきたわたし自身、
これまでどうすることもできなかったのが、

「障がい者と仕事との関わり」

でした…

わたしの願い、想いは、
世界中の70億人すべてのひとが自分の才能を発揮し、
ひとりひとりのかけがえのない才能で
ひとのお役に立つ仕事をしていることを実感することで、
働く喜び、自分の仕事への誇り、
そして、生きる喜びを
心から感じられるようになることであり、
そんな働き方が日本中、世界中に拡がっていくことです。

ですが、これまでのわたしはその夢を、
障がいを抱えたひと達にまで
届けることができずにいました。

その世界がイメージできずにいたのです。

障がい者の働き方

わたしの母は身体障がい者で、片足がなく、
わたしは物心がついたときから
ずっと母の足代わりをしてきました。

そして、
わたしの息子は生後半年のときに脳腫瘍が見つかり、
その腫瘍摘出のための手術で小脳を切開してしまったため、
その後遺症で小学生になっても
まだしっかりと歩くことができず、
しゃべることもできません。

つまり、親も、子どもも、「障がい者」です。

そんなこともあり、
わたしは息子の夢や、やりたいと思っていることを
本人の口から直接聞くことができないどころか、
まずは「普通に生活ができること」を
心から願うことしかできませんでした。

わたしが幼い頃、
母はよく、

「お花屋さんで働いてみたかった。」

と、口にしていました。

しかし、
いくら母が夢を口にしても、
わたしは、

「障がいのある母には思ったとおりの仕事には就けない。」

「母が家の外に出て思う存分働けないのはどうしようもないし、
 仕方のないことなのだろう。」

と、当然のように思っていました。

つまり、母や息子のすぐそばで
障がいを抱えた日々の生活を
ずっと見てきているわたしには、
障がい者が「心から自分の望む仕事をする姿」や、
「ひとに喜んでもらうことで、自分も喜びを感じることができる姿」を、
全く想像できないでいたのです。

いくら自分が経営コンサルタントでも、
母や息子が仕事をできないのは仕方がない…

障がいをもっている限り社会的な自立は難しく、
一生誰かの援助が必要なのだ…

とさえ思っていました。

ですが、
いまでもわたしはいつか我が子の障がいが完治し、
普通に歩き、しゃべれるようになり、
「一人前に仕事ができるようになること」を、
ずっと望んでいます。

さらに、母に関しても、
たとえお花屋さんではなくとも、
母の才能が発揮できることで、
ひとのお役に立つ喜びを
思う存分味わってもらいたいと思っています。

そんなわたしの想いに共感し、

「障がい者をもつひと達にも、
 才能を活かして活躍してもらえるようにしよう!」

「自分の仕事や事業を通じて、
 障がい者の人生を切り拓く協力がしたい!」

と言ってくれる仲間が増え、
どんどんとやれること、
チャレンジできることが増えていきました。

そうして、そのための基盤が整っていくにつれて、

「いよいよわたし達で、
 本格的に障がい児就労支援の新しい形をつくろう!」

と、動き出したのでした。

失われつつある日本人的な働き方

いまの障がい児への就労支援の現実は、厳しく非情です。

障がいを抱えた子ども達の働き口はあまりにも限られ、
工場や製造ラインでの箱詰め、検品といった軽作業、
もしくはスーパーの調理場や仕出しお弁当屋での流れ作業といった、
ごく限られた就労先がどうしても中心になります。

こうした受け入れ先は、
ひとと触れ合い、うまく会話することが苦手でも、
誰でもすぐに働けるようになることで、
社会的な自立を目指し、
給料を得られるようにしているのです。

わたしもよく、

「就労支援施設をやるならモノづくりや、
 おかしづくりを教えてあげたらどう?」

「障がい者が自分達で何かを作って、
 それを直接販売できるようにすればいいよ。」

といったアドバイスをいただくのですが、
残念ながらそれだけでは心からの働く喜びは得られません。

わたし達が目指しているのは、
こうした軽作業や簡単な流れ作業のように、
就職先が限られ、誰でもできる仕事を
あてがわれる働き方とは異なります。

もちろん、
我が子を社会に出して働かせてあげたいと思っている
ご家族やその子ども達の受け入れ口として、
こうして誰でもすぐに働ける環境が
たくさん用意されていること自体を
否定するつもりはありません。

少しでも働ける場所がなければ、
子ども達は家や施設から
一歩も出ることができなくなるからです。

それに近年では
ITを活用した働き方も種類が増え、
手先が自由に動かせたり、
ある程度のコミュニケーション能力や
相手との受け答えが支障なくできるようなら、
事務やパソコンの仕事もさせてもらえますし、
大手企業に就職することもできるようになりました。

しかし、わたしが向き合ってきた『経営』では、
単に誰でもその仕事ができたり、
給料をもらって仕事にやりがいを感じられれば
それで良いというわけではなく、
「自分の才能でひとに喜んでもらう喜び」を
感じてもらうことを重視しています。

むしろ、
自分の才能を活かせない環境のままでは、
本当にいい仕事はできません。

それは健常者も同じで、
わたし達も好きな仕事、憧れていた仕事に就いたとしても、
その仕事が想像していたのと違っているだけで
その仕事がツラくなり、嫌いになったりします。

なかには自分のやりたくない仕事、
才能が全く活かせない仕事をしていることで、
ただ生活のために目の前の仕事に向かうだけの毎日に
疲れているひと達はたくさんいます。

むしろ、
そんな日々が何年も続いた結果、
心や体を壊しているひと達がいるのが現代の病です。

そんな状態で取り組む仕事は、
たとえ給料がもらえても、
売上が上がっても、
心は何も満たされません。

いくら周りから認められ、必要とされ、
社会的に自立できていたとしても、
自分自身が納得し、
心から喜べるような仕事でなければ、
人生が満たされてはいないのです。

『日本人の働き方』的な障がい児支援

わたし達がいきなり障がい児就労支援を始めたり、
施設をつくったりしない理由はそこにあります。

「この施設を自由に使ってもらっていいですよ。」

「こんな活動をしているので、一緒にやりませんか?」

と言ってくださる方はたくさんいらっしゃいます。

ですが、
子ども達ひとりひとりの才能を
しっかりと考えた環境でなければ、
どんなに訓練をし、
手先や身体を動かせるようになっても、
どこでもいいから就労できるようにするだけでは、
「働く喜び」を伝えてあげられないからです。

ただ全員に同じトレーニングを施し、
同じ仕事ができるようになる訓練をするだけでは、
才能は開花しません。

その先にわたし達が目指しているものは無いのです。

わたしが様々な企業の事業の
お手伝いを通じて培ってきた
『経営(仕事の本質)』は、
決して知識やノウハウだけ理解すれば、
誰でも従業員の才能を見つけ、
伸ばせるようになるものではありません。

もっと大事なのは、
いま目の前いるひとりひとりの才能と
真剣に向き合う想いであり、
生き方そのものです。

子ども達ひとりひとりの才能を見つけ、伸ばすにしても、
その子の人生、将来と心から向き合い、
その子の喜ぶ顔を徹底的に考えるからこそ
才能は開花し、どんどん伸びていきます。

子ども達の将来、人生、才能を見つめる瞬間に、
もし少しでも余計なことを考えていたら、
その子のこれからの人生にはその雑念が入ってしまいます。

子ども達と接する時間は
その子の一生のうちたとえ数年だけでも、
その子のこれからの人生すべてが影響を受け、
目の前でこの子と接している以外の時間、
そのひとのすべての時間がそこに詰まっているのです。

だから、
子ども達のひとりひとりのリハビリやトレーニングに、
その子に関わっているスタッフさんの
生き方、働き方、仕事への取り組み方が
すべて表れます。

「どんな子どもでも、
 その子の才能が一番発揮でき、
 人生をいかに輝かせることができるか?」

それが、
わたしが伝えたい

「日本人の本来の働き方に即した就労支援」

なのです。

子ども達の才能を活かす仕事

「どうして、そこまでひとりひとりの子どもの人生と
 真剣に、本気で向き合えるのですか?」

わたしのリモビリ(リモート・ハビリテーション)をやっている姿をみて、
関係者の方々が話を聞きに来られるのですが、 あるとき、

「何を考えていたらそんなに真剣になるのですか?」

と、聞かれたことがあります。

でも、わたし達からすると、
むしろ「真剣にならない理由」なんて
存在しません。

だって、ひとは誰しも才能をもっていて、
ひとのお役に立つために生まれてきているのですから。

わたし達が日々接している子ども達にも、
「障がい」という表面上の個性の奥に、
素晴らしい才能が眠っているのです。

その才能が目覚め、
たくさんのひとのお役に立っていく未来のお手伝いをすることは、
最高の仕事で、かけがえのない時間であるはずだからです。

子ども達の才能を育てるには、
自分達の才能もまた磨かれてないといけません。

だから、わたし達は自分達の生き方や考え方、
仕事への取り組み方を整えることを常に意識していて、
いつ誰に自分の背中を見られてもいいと言えるくらい、
真剣に目の前の子ども達と向き合っています。

それくらい真剣な気持ちで、
子ども達と向き合い、
障がいと向き合っているのです。

わたしにとって、障がいは「最上級の才能」であり、
彼らは「最高に誇り高い至宝の仕事」ができる
金色に輝く子ども達なのです。

仕事とは、

『自分の才能を通じてひとに喜んでもらうことで、
 自分も喜びを感じる徳積み』

です。

たとえば、
わたしは『障がい児専門の通訳家』として
何百人もの子ども達と会話をしてきましたが、
どの子もみんな

「どんな身体で生まれてくるか、
 自分で決めて生まれてきた。」

と言います。

そして、

「うまく動けないことで、
 ひとの役に立てる」

と語ってくれるのです。

まず障がいをもった子ども達は、
周りの助けがなければ生きていけません。

なので、
障がいをもつ子の周りにいるひと達は、
どれだけ仕事ができなくても、
どれだけ頼りなく、
自分に自信がなかったとしても、
その健常なからだを使って、
子ども達の手伝いやお世話など、
様々な形でその子の手足、
力になることができて、
『徳積み』ができるのです。

つまり、
障がい児の側にいるだけで、
わたし達は仕事の本分である、

『ひとに喜んでもらうことで、
 自分も喜びを感じること』

を、誰もが感じることができます。

さらに、
障がいを選んで生まれてきた子ども達本人は、
すでに生まれる前からそのことを知っていて、
周りのひと達が自分の援助をし、
力になれることを喜んでもらうことで、
自分も喜んでいる(徳分を積んでいる)と言います。

なので、わたしはこの子達に、

「今日もお父さんお母さん、
 たくさんの周りのひと達に、
 最高の才能を提供してくれて、
 本当にありがとう。」

と、心で、態度で、言葉で伝えています。

そして、
それを伝えることで嬉しそうにしている子ども達をみて、
この子達の『至宝のお仕事』の手伝いができて
本当によかったと、幸せで、心が明るく、温かく満たされます。

大げさだと思われるかもしれませんが、
わたし達は、そんな感覚で、
それくらい真剣な想いで、
日々「障がい」という特別な力をもった
子ども達の才能と向き合っています。

彼らは毎日生きていること自体が、
多くのひとに喜びを感じてもらう
『最高の仕事』であり、
『徳積み』なのです。

だから、
わたし達は話を聞きに来られた方の前でだけ真剣なのではなく、
子ども達のそばにいるときはもちろん、
子ども達と接していないときでも、
24時間いつでも真剣で、
障がい児の才能を活かすための
最高のお手伝いをしています
と断言できます。

障がいを選んで生まれてきた意味

成功とは何でしょう?

もしも、仕事の目的が、ただ結果を出すこと、儲けることなら、
障がいを抱えている子ども達は世の中の邪魔者でしかありません。

しかし、本来の仕事の定義が、
日本人らしい働き方の原点である

『ひとのお役に立つこと』

『誰かに喜んでもらうこと』

であるならば。

母も、息子も、障がいを抱える多くの子ども達も、
誰もがもう充分に自分の才能を活かして、
至高の仕事で徳積みをしているのではないでしょうか。

本来、経営者の仕事とは、

「社員やスタッフ(働き手)の本来の才能を発揮すること」

そして、

「その才能を従業員全員が最大限に発揮できるような
 環境をつくり続けること」

です。

わたしが経営コンサルティングを通じて
取り組んできた仕事や経営に対する考え方や向き合い方は、
日本人として大切な『和の心』だと感じています。

そして、
わたしはこれまで『経営』を通じて
それを伝えてきましたが、
こうした考え方は仕事だけに限られた話ではなく、
人生すべてにおいて言えるものです。

何をやるにしても相手の才能を尊重し、
自分もまた自分の才能で相手に喜んでもらうつもりで、
ひととひとが繋がる。

これほど幸せに満たされ、
人生が良くなる生き方はありません。

わたし達が目指しているのは、
自分の才能が発揮され、
その才能で周りのひと達までも才能に目覚め、
お互いの才能が活かされるようになる、
そんな生き方です。

この数年間で、神戸をはじめ東京や九州など、
日本全国で新しい福祉の形として
『障がい児の本当の声』を伝えてきましたが、
わたしは福祉に関わる企業や事業が
どこかで新たにひとつ生まれるだけで、
そこにいる障がい児だけでなく、
共に働き、一緒に仕事をする
「障がいに関わる全てのひと」の
才能までもが目覚めるように、
と考えて事業をつくっていきたいと思っています。

具体的に書くとキリがないのですが、
たとえばリハビリや整体、
教育施設や飲食、栄養に関わるものなど、
様々な機関や企業とコラボし
新たな事業や商品・サービスの開発をしています。

こうした企業や事業があることで、
その事業と障がい児が関わることによって、
一緒に仕事をするスタッフの方々は
ただ技術を身につけ、賃金が上がるだけでなく、
思う存分自分の才能に挑戦し、伸ばしていってほしい。

そこにいるだけで自然と仕事と真剣に向き合い、
ひとの喜ぶ顔が想像、実感できて、
周りと力をあわせることの楽しさを
心から感じて人生を生きてほしい。

そんな思いを込めて、
事業をつくっているのです。

わたしがいま取り組んでいる
「障がい者支援」
「障がい児の就労支援」には、
まさにこれが根底にあります。

いまはまだいくつかの事業だけで精一杯ですが、
今後は、子ども達の給食や夕飯などの食事周り、
さらには子ども達だけでなく、
お子さんの介助、介護で疲れている
親御さんの身体、心のケアなど、
新たにつくりたいと思っている
取り組みはたくさんあります。

ただし、最初に書いた通り、
いくら良い環境で、良い道具を揃えても、
そこに関わるひとの土台、精神性に
「日本人としての心」がなければ
意味がありません。

これまで、
わたし達の新しい取り組みについての
講演会や実績を通じて、
それをきっかけに神戸にまで
相談に来てくださる方もいらっしゃいました。

きっと、子ども達との接し方や
通訳の様子を知ってもらうだけで、
わたし達の「障がいとの向き合い方」を
感じてもらうことで、
その後の子ども達との接し方が
変わるとは思いますが、
どうせなら1回きりではなく、
もっと身近で何度も触れてもらいたい…

そう思って、
全国の障がい者支援施設のオーナーの方々に個別に訪問に行ったり、
直接そのやり方を伝える機会も設けたりしていました。

もし、わたしの話を通じて、
わたし達が伝えたい

「子ども達の才能が活躍する瞬間」

を目の前の誰かひとりにでも
届けることができたら…

それを、日本中、世界中の子ども達と
そのご家族に届けられたら…

世界中のひとが、
周りにいる「障がい児」と呼ばれている
素晴らしい子ども達からの才能を受け取り、
その子との関わりから心が喜びで満たされ、
その喜びをまた誰か周りのひと達に届けたくなる。

そんなひと達がたくさん増えたら、
きっと、
「本来の日本人的な就労支援」が
世界中に広まるのではないか?

そんな思いから、
わたしはこれまで目の前のご縁のあるひと、
ひとりひとりにこの話を伝え続けてきました。

それでも、
わたしのからだはひとつしかなく、
時間にも限りがあり、
このことを伝えられる人数が
だいぶ限られていた、
というのが正直なところでした。

しかし、
平成が終わって令和を迎えた頃から、
そんなわたしの想いに共感し、共鳴し、
協力してくれる仲間とのご縁が次々と広がり、

「この考え(障がいを選んで生まれてきた子ども達の才能の秘密)を
 もっと本格的に伝えたい」

という声がますます増えたことで、

わたし達も

「いよいよ、世界に広げていくときが来たな」

と感じ、覚悟するようになりました。

2020年の緊急事態宣言…

そんなタイミングで
令和元年も年が明けた2020年を迎えた春、
わたし達のもとにやってきたのが、
あの世界的なパンデミック、
新型コロナウィルスによる
全国的な緊急事態宣言でした。

「緊急事態宣言により、
 障がい児のためのリハビリテーション施設が
 一斉に休業させられる。」

実際、2020年に発令された史上初の緊急事態宣言は
4月7日(全国域では同月16日)から
5月31日までのたった2ヶ月弱だったのですが、
子ども達にとって丸々2ヶ月間リハビリが
ストップすることは大きな打撃でした。

たった1週間、訓練を休むだけで
また歩けなくなる子ども達…

たった数週間、施設に行けなくなることで
親以外の大人との接触が苦手になってしまう子ども達…

2ヶ月間、施設が休業となっている間どこにも外出できず、
その間に症状、容体が急変し、施設に戻ってこれなくなった子ども達…

目の前には、そんな致命的で、人生を左右するほど
本当に困っている子ども達がいるのに、
そんな犠牲を前に、いま自分達が動かなくて
障がい児支援を語る資格はない。

そう思ったわたし達は考えるよりも、まず行動。

何でもいいからやれることは何でもやる。

できること、できないことなんて関係ない。

という強い意思で、
わたし達は自分達にできること、できないことではなく、
いまの子ども達に絶対に必要なことを優先して、
現在の活動の前進となる「ある活動」をスタートさせました。

それも、その活動は
当初わたし達がずっと計画を立て、
時間をかけて準備を進めていた事業とは
全く違うものでした。

これまでわたしが伝えてきた
『日本人らしい仕事の本質』を土台にした
障がい児入所施設や放課後等デイサービスをつくること。

さらには、その施設を通じて
「子ども達の本来の才能を発揮する関わり方」を
世の中に届けたい。

そんな想い、志をもって
ずっと準備してきた事業計画とは全く違う、
ただ、いま目の前の子ども達のために必要だと思った活動。

それをわたし達はこれまでの一切のこだわりを全部捨て、
自分達が培ってきた経験も捨てて、
「ひとつの活動」に一心不乱に取り組んだのでした。

それが、『リモート・ハビリテーション(リモビリ)』です。

しかし、
その活動を形にすることは、
そう簡単なものではありません。

全国的なコロナ禍のなか、
オンラインでリハビリするという
まったく前例のないことに挑戦し、
先の見えない世界に足を踏み入れたのですから。

正直、最初は大きな大きな不安もありました。

「自分達の考えは甘いのではないか?」

「自分達のやり方は通用しないのではないか?」

障がい児支援の世界には
想像以上に既存のルールや考え方があるのですが、
絶対に妥協したくはなかったので、
もし自分達の考えが受け入れられなかったら
この業界はもちろん、障がい児を子にもつ親や
その家族からも大ヒンシュクを買い、
この取り組みはおろか、
今後の活動も続けられないという
最悪の可能性もあり得たのです。

しかし、いざ活動を始めてみると、
驚きの結果となりました。

これまで数年間続けてきたリハビリでも
大きな変化のなかったお子さんが、
緊急事態宣言が明けリハビリ施設にいくと、
施設の方が驚くほど立てるようになっていたり…

このままいくと小学校に入るときには
手術が必要と言われていたお子さんの足が、
手術が不要なほどの回復をみせていたり…

この子は生涯しゃべれないかもしれないと
諦められていたお子さんが、
今後言葉を話す可能性が出てきたり…

これまでの従来のリハビリでは
見られることのなかった奇跡のような回復が、
たった数ヶ月の間に起こったのです。

それも、
たった一箇所、
ひとつの町だけでなく、
日本全国の様々な子ども達においてでです。

そしていま、
「新たな障がい児支援」の形が
スタートするという奇跡が
ここから起ころうとしています。

これはまさに、こうした子ども達のために
自分の才能を全力で活かそうとしてくれた
多くの仲間の努力の結果であり、
さらには我が子の才能、未来を信じて
この活動に子ども達を預けてくれた
ご両親の協力の賜物であり、
わたしひとりの力では
到底形にならなかった
想像を超えた奇跡の形です。

そしてその形は、
わたし達が当初願っていた未来、
緊急事態宣言によって手放した大切な想い、
こだわりでもある、

「世界中のひとが、
 自分の周りにいる障がいをもった子ども達から才能を受け取り、
 その子達との関わりから心が喜びで満たされ、
 子ども達もまた喜びに満たされる」

という

「日本人らしい働き方で障がい児が活躍する就労支援」

そのものとも繋がっていたのです。

夢にまでみていた、新しい福祉の形。

まさに『第3の福祉』が現実となった瞬間でした。

本当にいままで関わってきた全員に支えられ、応援されて、
ようやく実現しようとしている新しい取り組みです。

その結果をみて、わたしも、

「ここまで来たからには、
 絶対にこれを多くの子ども達と
 その家族に広めなければいけない」

という使命感に近いものを
感じるようになりました。

そして、
それを感じていたのはわたしだけではありません。

この活動を応援してくれていた色々な方のお力によって、

「この話を絵本にしていきましょう!」

「この考え方を書籍にして出版させてほしい!」

「一緒にこれからの障がい児教育をつくりましょう!」

といった声をもらうようになったのです。

そしてさらに、
この活動にあたって全国の様々な業界、業種の方々が、

「あなた達の活動になら、
 この技術を使ってもいい!」

「この活動の支援のために、
 新しいサービスを一緒に世に出したい!」

「子ども達のために、
 この商品を一緒に開発しましょう!」

と言って、

これまで企業秘密にしていた最新技術や、
まだ世に出ていないサービスを
提供してくれようとしているのです。

そしていま、日々わたし達と共に、
この新たな試みに挑戦してくれています。

こうして満を持して、
多くの才能ある方々の協力のもと、
本格的に

「障がい児の才能を活かす障がい児支援」

がスタートしようとしています。

いよいよ本格的なステージへ

最初にもお伝えしましたが、
わたしは『障がい児専門の通訳家』という活動をしています。

なので、
わたしは重度な障がいを抱え、
言葉を話せない子ども達をはじめ、
身体障がいであっても、
知的障がいであっても、
発達障がいであっても、
どんな障がいにも関わらず、
子ども達の声を聞いてきました。

だからこそ、
自信をもって言えることがあります。

「子ども達は自分で障がいを選んで生まれてきています。」

そして、
その仕事、役割はすでに生まれる前から決めていて、
その協力をしてもらうために、
自分の両親や家族、兄弟を
選んで生まれてきたと言います。

そしてさらに、
そのための周りのひと達との関わり方を
望んでいるのだと言います。

そんな彼らの
「生まれてきた意味」
「生きる目的」に対し、
ただ社会的に自立できているか、
お金をたくさん稼ぐことができるかどうか、
といった基準だけで自立の仕方を判断するよりも、
もっと良い形での
「本当の福祉」
「いのちの尊重の仕方」
「支援の仕方」
ができるのではないでしょうか。

そんな「いのちとの関わり方」を通じて、
これまで様々な企業や事業と関わり、
本当の仕事や働き方を追求してきても
全く辿り着かなかった、
「障がい者と仕事との関わり」への
本質的な考え方を教えてくれたのが、
2015年の春に我が家を選んで
生まれてきてくれた
人生の師である息子、
ヒカルでした。

わたしは彼からたくさんのことを学び、
たくさんのお役に立たせてもらいました。

そして、息子のお友達やそのご家族の
たくさんの力になってきました。

きっとあなたもひとのお役に立つこと、
誰かに喜んでもらうことは、
最高の喜びだと思います。

ここ数年で、こうして神戸を中心に
子ども達のために集まってくれる
仲間が増えているのはとても嬉しいのですが、
皆さんが全員、それができるわけではありません。

ありがたいことに、
この活動でわたし達と一緒に働きたいと
申し出てくれる声はたくさんいただきますし、
ウチの施設で話をしてほしいと言ってきてくれる方は
日々たくさんいらっしゃいます。

でも、やはりわたしが直接お話できる方は
限られてしまうというのが現状です。

また、スタッフとしてわたし達と一緒に
障がい児と接し、共に働くことも、
想いはあっても、お互いの事情で
叶わないこともあります。

でも、
あなたの町にも必ずいる、
障がいを選んで生まれてきた目の前の子ども達に、
そういった想いで接していただくことなら、
住んでいる場所、働いている場所は関係ありません。

神戸で、東京で、
あるいは北海道でも、
九州、沖縄でも、
日本全国、
もしかしたら遠く離れた海外でも、
想いを重ね合いながら、
一緒に子ども達の才能を育むことができます。

ひとのお役に立って働く喜びを
子ども達と分かち合うことができます。

こんな風に、
一部のひとにしかできないことではなく、
日々の子ども達との接点を通じて、
誰でも、そしてどこでも、

「障がい児の才能を活かすための福祉」

を実践できる。

そんな環境をつくるための
新たな試みにチャレンジしています。

「障がい児と触れ合うことで人生がよくなるなんて、
 そんな大げさな…」

と、最初は思われるかもしれません。

正直、わたしも、
最初はこれで本当にいいのか?
と思っていました。

しかし、いまは断言できます。

障がい児の本当の心の声、その本音に触れたら…
まずあなたの見える世界、常識が変わります。

そして、
生きることに対する捉え方も、
仕事の意味も、
人生の喜びの感じ方も
変わっていきます。

さらには、
あなたの才能も、
運命も、
人生さえも
変わっていきます。

それも、どんどんといい方向に。

それくらい、
障がいを選んで生まれてきた子ども達が
みんなもっている特別な才能(金色の宝物)に
触れることは素晴らしいものです。

せっかくこのメッセージを
ここまで読んでくださっているあなたにも、
「障がい児との触れ合い」を通じて、
ひとに喜んでもらえる喜びを
実感してほしいなと思っています。

何もわたしは、
いきなりあなたにも
「わたし達と一緒に働きましょう」と、
事業にお誘いしているわけではありません。

ですが、
それでもあなたも自分の地域にある
障がい児達のいる施設で、
1日だけでも子ども達と
触れ合ってみることはできるでしょう。

もしくは、
実際にわたし達の取り組みの話を
聞きにくるだけでも構いません。

それだけでも感じてもらえるものは
きっとあるはずです。

わたしはただ、
もっともっと一緒に

「新しい形の障がい児支援」

を広めていく仲間になってもらえたら
いいなと思っています。

それは本当に、
ずっと一緒に子ども達と真剣に向き合い、
「障がい」に対する意識を高め、成長し合って、
共に才能を生きていけるような、
生涯を通した仲間です。

そんな方々と共に、
自分の才能で誰かの役に立ち、
仕事に喜びを感じ、
『徳積み』に重きをおく働き方で、
障がい児の才能とも一緒に手を取り合っているのが
当たり前な職場や家庭…

本当の意味での「新しい日本の福祉の形」が
あちこちに拡がっていったらいいなと願っています。

そして、それは出来れば
「日本人らしい働き方をする徳高き大人達」と、
この『reMOBILE-リモビリ-』で、
『リモビリを応援してくれている仲間』と共に、
あなたの会社とのコラボレーションで、
あなたの取り組む事業から拡がっていったなら、
最高の悦びではないでしょうか。

そうやって日本を元気に、日本人が徳高く、
子ども達の未来を支え、本気で支援している
素晴らしい国にしていきたいのです。

そして近い将来、
障がいを選んで生まれてきた子ども達が
誰もがその才能を発揮し、
社会で活躍することで、
日本から『福祉』という
言葉すら無くなったらいいなと思っています。

だって、
これは元々わたしたち日本人が
当たり前にやっていたことであり、
この働き方は何ら特別なものではないのですから。

最後に

ここまですべて読んで下さり、ありがとうございます。

もし、このメッセージを読んで、
わたし達のこれからの活動を応援したい、
一緒にこの考え方を広めて、
喜びに溢れた子ども達を増やしていきたいと
思ってくださったなら、とても嬉しく思います。

まずは、わたし達が毎日真剣に耳を傾けている、
「子ども達の本音」を、
あなたも聴いてみてほしいなと思います。

神戸に来られなくてもその声を共有できれば…

そう思って、Instagramでもライブ配信をしています。

YouTubeで伝えている子ども達の声は、まさにそのほんの一部です。

まだどこにも公開していない、奇跡の物語は毎日たくさん起きています。

そして、
それはヒカルのおとうさんサロン
『きんいろの宝物』でも公開しています。

きっと、この奇跡を目の当たりにすることで、
あなたの世界は大きく開かれることだと思います。

なぜなら、それこそが「この子達のやりたいこと」なんですから…

この壮大すぎるプロジェクトを実現させるためには、
まだまだ多くの方の協力が必要です。

どんな形でも構いません。

わたし達の活動を、
ひとりでも多くの方に知ってもらえるよう、
ご協力いただけると嬉しいです。

このサイトを勝手にご紹介してもらっても構いません。

このメッセージを読んで、
毎日の生き方や、仕事への向き合い方、
そして、子ども達との接し方が少しでも変わる。

そんなひとが増えれば、
書いて良かったなと思います。

また、もしわたし達の活動に関心があり、
直接話が聞きたいという方がいたら、
どこにでもお話しにいきます。

トーク会や講演会でも構いませんし、
個人的な相談も大歓迎です。

「障がい」のこと、
「子ども達との関わり方」のこと、
遠慮なく聞いてくださいね。

「このページを読んで、感動しました!」
と言っていただけたら、すごく喜びます。

そして、

『新しい障がい児支援』

『第3の福祉』

も、

一緒に盛り上げていきましょう。

全国各地で、願わくば海外にも広げて、
例えば

「わが社で障がい児の才能を活かす事業検討会」

みたいな面白い企画をたくさんできたらいいなと思っています。
(それがわたしの得意分野であり、子ども達も望んでいることです。)

それがこの「ひかりのパパ」でのあなたとの共同福祉事業となったなら、
わたしはこの活動を続けてきて、本当によかったと思います。

たとえ離れた場所に住んでいても、
いつでもわたし達と子ども達の日常に触れてもらい、
『障がい児の徳高き生き方』を身近に感じ、
子ども達の活躍を支援し、
その才能を受け取ってもらえるような、
そんな環境をこれからつくっていきます。

そして、
わたしがそうだったように、
我が子にどんな辛いことがあっても、
たとえ心の中が絶望でいっぱいだったとしても、
子ども達が周りのひと達に受け入れられ、
喜んでもらえるだけで、
心の中が喜びで満たされていく…

そんな方が日本国内にたくさん増えることを、
心から願っています。

今後もご縁を大切にして、
関わった子ども達が才能を発揮でき、
ひとに喜んでもらうことで誰もが幸せになるよう、
精一杯がんばっていきますので、
これからの活動の応援をよろしくお願いします。

最後まで読んでいただき、
ありがとうございました。

これからの活動で起こる奇跡については、
ヒカルのおとうさんサロンや講演会で、
あなたに伝えていけることを楽しみにしています。